プレスリリース
20120304
報道機関各位

インド政府災害対応隊(NDRF)の大震災被災者救助に協力した通訳ボランティア4人に追悼式典招待状届く
東日本大震災・インド政府災害対応隊(NDRF)同行通訳ボランティア・グループ(代表:平本謙一郎)、3月11日  、ニューデリーで日本大使館主催大震災追悼式典に出席へ
横浜・川崎・逗子の神奈川県在住者が3人

私、平本謙一郎を含む英語に堪能な日本人通訳4人は、東日本大震災直後、インド政府から派遣された災害対応隊(NDRF)に、通訳ボランティアとして同行、活動を共にしました。NDRFは2005年設立以来初の国外派遣で、宮城県女川町で献身的な救助活動を展開しました。その熱心且つ丁寧な作業ぶりは被災者など関係者だけでなく、マスコミでも高く評価、報道されました。

そしてこの度、駐日インド大使、アロック・プラサード氏から3月11日  、ニューデリーで行われる日本大使館主催の大震災追悼式典に、通訳活動のお礼に招聘したいとのお話を頂戴いたしました。滞在期間は3月10日  ~16日。もちろん快諾し、私たちは女川町のその後の復興振りをインド隊に報告すべく、2月18日  ~19日、女川町を再訪してきました。

震災後、町議から町長になった須田善明氏にも面会、須田町長からインド隊へ向けてのビデオレターを収録しました。今回、インド訪問の折に、私たちは2月19日  現在の女川町の復興状況と今後の展望を訪問取材した資料やデータとともに、このビデオレターの全文を英訳し、ビデオ英語字幕を付したビデオをインドへ持参し、インド隊およびインド政府関係者に女川町の今を伝えるとともに、英語字幕付きビデオレターを現地で上映する予定です。

震災直後から、外国からも多数の救援チームが駆けつけていましたが,生き埋め、不明者捜索や負傷者治療など様々な現場で通訳が絶対的に不足していました。私たち4人はNPO(国家資格)通訳案内士連合、株式会社東京通訳アカデミー(本社:東京都千代田区)の支援のもと、東日本大震災の被災者支援に来日された各国の救援団体の言語サポートを行うことを目的に結成された、NPO日本通訳案内士連合(J.G.C)通訳ボランティア事務局所属の通訳ボランティアとして英語通訳で採用されました。4人は20代~40代と年齢も分かれ、職業もサラリーマン、フリー通訳、大学医学部医師、大学院生と様々で、通訳募集に応募、採用されたものです。

【通訳ボランティア・グループのメンバー】
◎木下崇史(きのした・たかふみ)
1984年生まれ、27歳/株式会社二番工房勤務/神奈川県川崎市出身
◎渡邊太一(わたなべ・たいち)
1984年生まれ、27歳/フリーランス翻訳者及び通訳者/東京都出身
◎一原直昭(いちはら・なおあき)
1973年生まれ、38歳/医師(循環器内科/救急医療)、横浜市立大学 大学院医学研究
科病態制御内科学在籍中/神奈川県逗子市出身
◎平本謙一郎(ひらもと・けんいちろう)
1968年生まれ、43歳/社団法人東京アメリカンクラブ所属、米国赤十字認定ライフガード&ファーストエイドホルダー、米国赤十字認定CPR/AEDプロフェッショナルレスキュアー、文部省認定日本語教育能力検定、國學院大學大学院日本語教育学修士号

【資料1:須田善明・女川町長からインド隊及びインド政府へのビデオレター】
・日付:2012年2月19日  
・場所:宮城県女川町役場
・取材者:平本謙一郎、渡邊太一、一原直昭
・取材先:須田善明・女川町長
・テーマ:インド国家災害対応部隊(NDRF)、インド政府災害対策関係者へのビデオメッセージ

宮城県女川町長の須田善明です。まずはお礼を申し上げます。昨年3月11日  に、我が町をはじめ、東日本全体を襲った巨大地震と巨大津波は、多くのものを私たちから奪い去り、日常の生活、育んできた歴史などいろいろなものを破壊し、多くの方々が命を落とされました。発生当時は大混乱と困窮の中にあり、そのような中、インド捜索隊の皆さんが我が町に入っていただいて、多くの方々の捜索に携わっていただき、家族の帰りを待つ生き残った皆さんに、そのご家族の皆さんを、連れて帰って来ていただきました。大変に有り難く思っております。

皆さんが我が町にお越しいただいた当時の風景から、今どれくらい変わったかと言えば、破壊され尽くした家、建物、車など(復興までに)何年かかるだろう、と思うような状況でありましたが、その片付けがある程度完了し、これから新たな町を作っていく上で大きな一歩を踏み出そうとしているところです。残念ながら町を離れる方も、いくぶんか、当然、おられますし、水産業を基幹とした我が町でありますが、産業の復興もまだ緒についたばかりで、みんなそれぞれが必死になって、明日を信じてこのふるさとをもう一度作り直すのだ、という思いで今生きています。

今後(復興までに)しばらく時間はかかるかも知れませんが、必ず新しい女川町を作り上げる、その復興を成し遂げる、と信じて、未来へ向けての闘いを行(おこな)っていくことが、そしてそれを実現することが、インドの捜索隊の皆さんをはじめ、多くの支援をいただいた皆さんの心に、またその思いに応えていく唯一の道だと信じております。今回、当時通訳で関わっていただいた皆さんが我が町にお越しいただき、貴国に伺われるということで、お礼を申し上げるこのような機会をいただきました。大変に有り難く思っております。これから復興に伴い、捜索など様々な活動を通じインドの皆さんと結ばせていただいたこの絆(きずな)をぜひとも大切にさせていただきたいと思っております。

そして捜索隊の皆さんのみならず、インドの皆さんにも様々な形で、女川町のみではなく被災地全般に対する、心温まる支援をいただいてきました。そのことにつきましても、大変感謝を申し上げます。歴史的にも、また様々な文化の面でもずっと、日本そしてインドとこの二つの国は、交流を持たせて来ていただいたわけでありますが、被災地である我が町、東北のみならず、この両国の関係は、これからより大きく、より太く、そのパイプを、絆を結んでいくことが、両国にとって、また私たちが共通して生きていく未来の中にあって、大きな価値になると、私は信じております。

今回、結ばせていただいた様々なご縁、絆を、これからの私たちの関係にとって一つの大きな意味を持つものになればいいと、思っておりますし、私たちのふるさと、そのような思いで、これからも頑張っていければ、と思っております。いつか必ず、復興した我が町の姿を、皆さんのもとにお届けし、またご覧いただけるような環境も作っていきます。
まずは、そういう風にご紹介、またご案内できるような我が町の復興を遂げることがいちばん重要ではありますけれども、どうかお見守りをいただきながら、また今後とも、何かにつけて、お力をお貸しいただければ大変有り難く思っております。

一年が経ちました。これから新たな気持ちで、いろいろ辛い思い出、悲しみはありますが、それを心に刻んで、勇気を持って前に進んでゆきたいと思っております。
どうか今後とも、皆さんの温かい思いを私たちに注いでいただきますようお願い申し上げます。本当に皆さんには大変、お力をお貸しいただきました。お世話になりました。
有り難うございます。

【資料2:通訳ボランティアが見たインド政府対応隊の活動――平本謙一郎】
震災から丸一年が経とうとする今、私たちにできることは一体何なのか?そんなことを考えていた矢先、インド大使館から一本の連絡が入った。
『君たちを1月26日  に日本で行われるインド共和国記念日式典に招待したい。また、もし日程が合えば、3月11日  にニューデリーで行われる3・11追悼式典にも参加してもらいたい。そこで君たちはNDRF隊員たちに再会できるだろう。』

そのような内容の連絡だった。思えば私たち通訳ボランティアは、去年3月28日  から4月10日  までの間、インド政府災害対応隊(National Disaster Response Force:NDRF)と行動を共にし、被災地、宮城県女川町の災害救助および行方不明者捜索活動に従事した。
そこで私たちが目の当たりにしたものは、想像を絶する巨大津波が町を一気に飲み込んだ形跡と大量の瓦礫の山、そして地上に剥き出しとなった住居の土台だけであった。28日の午後女川町に着くと町役場よりその日のうちに住宅地図を渡された。が、その日は現場の視察だけに終わり、翌29日から本格的な活動を開始した。

活動時間は午前9時から午後4時まで 。日照時間が短い上に、余震もまだ頻繁に続いていたことから、隊員全員の身の安全とニ次災害を未然に防ぐためである。重機を持たない軽装備のNDRF部隊。しかし、その様相とは裏腹に部隊46名の士気は高く、一般人ではとても危険で立ち入ることも憚れる半全壊状態の木造住宅の中を、瓦礫の中から拾い集めた木材を使って、それを柱のように建物内部に突き立てながら、進んで行く。その勇姿を只々私たちは見守るだけであった。

午前10時頃になると地元被災者の方々が、避難していた避難所からぞろぞろと自分たちの自宅のあった場所まで下りてくる。そんな被災者の一人にN・Kさんがいた。作業初日、たまたまN・Kさんの自宅近くを捜索していたNDRF部隊の様子を、少し離れた所から無言のまま、じっと見つめ続けるN・Kさん。その様子を見た私は『すみません。こちらがご自宅だったんですか?』―思わず声を掛けていた。そこからN・Kさんと私の会話は続く。

そのやりとりの中で「N・Kさんのお隣のお婆さんが行方不明であること」「避難所に指定されていた老人ホームが津波に飲まれ、そこに避難をしていた約7名の方々が犠牲となったこと」「その犠牲者の一人がお隣のお婆さんであったこと」など、現地での地元住民でしか知り得ない有力な情報と証言を得ることができた。

N・Kさんは続けて言った。『もしかしたら、あの丘の上の方にお婆さんがいるかも知れない。お婆さんと一緒に避難したご家族のご遺体がそこで上がっているから…』その声を私は直ぐにアロック・アワスティ隊長に英語で伝えた。隊長は即座にその付近の捜索を指示。私たち通訳ボランティアが地元住民とNDRF部隊を繋ぐ、新たなミッションを得た瞬間であった。

【取材・内容についてのお問い合わせは直接、下記までお願いします】
東日本大震災・インド政府災害対応隊(NDRF)同行通訳ボランティア・グループ
代表:平本謙一郎(社団法人東京アメリカンクラブ)
電話090-6485-1221/080-4133-2737
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