日中国交正常化45周年紀念出版『李徳全――日中国交正常化の「黄金のクサビ」を打ち込んだ中国人女性』が刊行!
http://duan.jp/item/242.html 

【日本僑報社発】日本僑報社はこのほど、日中国交正常化45周年記念出版となる『李徳全――日中国交正常化の「黄金のクサビ」を打ち込んだ中国人女性』(程麻、林振江著、日本語版)を刊行した。6月下旬より好評発売中!

――戦後の日中交流は、中国大陸に残された日本人居留民とB・C級戦犯を日本に帰還させることから始まっている。
なぜ、戦犯とされた1000人前後の生存者が無事帰国できたのであろうか。それは、李徳全という、当時中国で最も著名な女性が動いたからであった。李氏の夫は馮玉祥。西北軍閥の将軍で、「クリスチャン・ジェネラル」とも呼ばれていた。
今年(2017年)は、日中が国交正常化して45周年の節目の年である。その記念すべき年に日中関係が正常化する18年も前の秘話が日本と中国において出版される。
李徳全は、日中国交正常化が田中角栄と周恩来の手によって成される1972年9月29日  、その五ヶ月前の4月23日  に亡くなっている。李徳全は日中国交正常化のために「黄金のクサビ」を打ち込みながら、それを知ることもなく天に召されたのであった――。

戦後初の中国代表団を率いて訪日し、戦犯とされた1000人前後の日本人を無事帰国させた日中国交正常化18年も前の知られざる秘話を初刊行!
どうぞお手にとってご覧ください!

■『李徳全――日中国交正常化の「黄金のクサビ」を打ち込んだ中国人女性』
出版:日本僑報社
著者:程麻、林振江
監修:石川 好
訳者:林光江、古市雅子
判型:四六判260頁(上製本)
定価:1800円+税
詳細 http://duan.jp/item/242.html 

■『李徳全』 著者、監修者、訳者の紹介
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【著者略歴】
○程麻(ていま)
本名:程広林。山東省龍口市出身。中国社会科学院文学研究所比較文学研究室研究員(教授)。魯迅をはじめとする中国近現代文学と日本の関係を研究テーマにおきつつ、日本文化を紹介する一般書も出版するなど、著作、訳著多数。
主な著作は『溝通与更新:魯迅与日本文学関係発微』『中国現代散文史小史』『零距離的日本』『中国風土人情』。主な訳書に『竹内実文集』全10巻、『中国近現代論争年表』『毛沢東的詩詞、生涯与思想』『美国母女中国情:一個傳教師家族的山東記憶』など。

○林振江(はやししんこう)
明治大学学長特任補佐、中国北京大学日本研究センター常務理事。北京大学国際関係学院にて国際政治学専攻・法学博士を取得後、明治大学特任教授を経て現職。研究テーマは、首脳外交、日米中関係、国際政治。1980年代より中国に座し、国際シンポジウム、中国・日本研究史叢書の出版などを企画実施。幅広い研究ネットワークを持ち、基礎資料の整備にも注力している。主な著書は『首脳外交』(中国語)。共編著に『グローバル化した中国はどうなるか』『中国的日本史研究』など。

【監修者略歴】
○石川好(いしかわよしみ)
1947年東京都大島町(伊豆大島)生まれ。大島高校卒業後、米カリフォルニア州に渡って、長兄の農園で働く。慶應義塾大学法学部卒業後、再渡米。1989年『ストロベリー・ロード』で第20回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。現在は、ノースアジア大学客員教授、山形県酒田市立美術館長などを務める。前「新日中友好21世紀委員会」日本側委員、湖南大学客員教授、日本湖南省友の会共同代表。著書に『湖南省と日本の交流素描―中国を変えた湖南人の底力』『漫画家たちの「8・15」』など多数。

【訳者略歴】
○林光江(はやしみつえ)
東京大学医科学研究所特任教授。北京大学社会学系社会人類学専攻・法学博士。
北京大学にて日本研究センター研究員、中国社会発展研究センター研究員、国際関係学院客員教授などを歴任。2005年より現職に就き、中国との感染症共同研究推進を担当。北京在住。著書に『国家・独生子女・児童観』、訳書・共訳書に『竹中平蔵解読日本経済与改革―日本原財相与北大学生面対面』『日本3・11大地震的啓示―複合型災害与危機管理』など。

○古市雅子(ふるいちまさこ)
北京大学外国語学院副教授。北京大学中国言語文学系比較文学比較文化専攻・文学博士。北京大学日本研究センター研究員、北京大学外国語学院明治大学マンガ図書館閲覧室館長。著書に『満映電影研究』(中国九州出版社)、訳著に『中国文化読本』(中国外研社)など。

■『李徳全』 日本語版刊行によせて――石川 好
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二〇一四年一〇月上旬、旧知の中国人羅悠真氏から分厚い新聞のコピーを見せられた。それらは日中が国交正常化(一九七二年)する一八年も前の一九五四年一〇月三〇日の多くの全国紙であった。その見出しは、李徳全という中国紅十字会会長の訪日を伝えることなのだが、彼女が日中戦争の後、中国にとらわれていた一〇〇〇名余りのB・C級戦犯名簿を携え、これらの人々を速やかに帰国させたい、という内容であった。見せられた新聞の日付から数えて六〇年前に、そのようなことがあったことを知り、わたしはこの訪日団を詳しく理解したいと考え、戦後の日中関係史に係わる何冊もの書物を読んでみたのだが、ほとんど触れられていないことに驚いた。
どうしてこれほど重要なことが戦後の日中交流史で忘れられてしまったのか。そう考えわたしは世論を喚起すべく同年一〇月一六日の読売新聞「論点」に「日中交流の扉を開く―李徳全氏。一九五四年の訪日」と題し、次のような文章を書いた。
(中略)

この文章は、中国語に訳され、李徳全一行の中国側通訳として同行していた後に名日本語通訳と呼ばれる王効賢女史の目に触れることとなる。王効賢女史は六〇年前のこの訪日団を知る最後の人物なのであった。また、この文章がきっかけで日本において、李徳全女史の孫にあたる冒頭で述べた羅悠真氏らと共に山の上ホテルで、キリスト教関係者らを含む約七〇名が集い、ささやかなフォーラムを開催し、李徳全の功績を讃えた。
(中略)

こうしたことを北京大学の林振江教授が知ることとなり、中国社会科学院の文学研究所教授程麻氏にこの一件を話したところ、程教授は、日本人と中国人の共同作業として、二人で詳しく調べ書いてみようと決心され、二人は日本に来て、多くの資料を集め、中国においても、資料の乏しい李徳全の足跡を追い共著として完成したのが本書である。
今年(二〇一七年)は、日中が国交正常化して四十五周年の節目の年である。その記念すべき年に日中関係が正常化する十八年も前の秘話が日本と中国において出版される。何か歴史の因縁を感じさせるものがある。李徳全は、日中国交正常化が田中角栄と周恩来の手によって成される一九七二年九月三〇日、その五ヶ月前の四月二十三日に亡くなっている。李徳全は日中国交正常化のために「黄金のクサビ」を打ち込みながら、それを知ることもなく天に召されたのであった。……(以下略)